心が満たされていないとき、人は何をするだろうか。他人のうわさ話である。悪口とうわさ話は蜜の味。生活に方向性がないとき、心を集中できるものがないとき、他人のうわさ話で紛らわすと、自分の抱える問題から目を背けられる。

うわさ話で盛り上がっている人は、「私は心が空虚です」と宣言しているようなもの。私は心の衛生上、あるときから「うわさ話に近づかない」というルールを作って実行している。うわさ話の集まりからはそっと離れるのだ。すると、うわさ話で一瞬盛り上がった後のイヤな感じを味わうこともない。

しかし、うわさ話でつながっている関係というのもある。その共通の話題がないと、仲間に入れないコミュニティも存在する。仲間はずれが怖くてうわさ話の輪に入るのは、本来は大人のすることではない。そんな仲間には、危うい連帯しかない。

さて、うわさ話を共通の話題としてつながるのは、個人だけではない。このところ、報道という名を借りて、単なるうわさ話だけのマスメディアが何と多いことか。

タレントや政治家のゴシップや悪口の数々、事件の核心ではなく他人の不幸をのぞき見するような見出し。良識的といわれていたはずの週刊誌の広告を新聞で見るだけで、何かヘンだ、と感じることが多い。

うわさ話の多さは、それだけそういう話を好む人がいることを意味する。となると、怖い現象だ。「正義」についての講義で知られるハーバード大のサンデル教授は、「大衆の関心をあおるタブロイド紙的報道」は本質的な問題から目をそらせると語っている。

一人一人がうわさ話から遠ざかると、社会は変化する。年をとったら、残り時間を大事に使いたい。最もムダなのは、うわさ話と悪口に費やす時間である。