日曜の朝、お茶をいれて新聞を広げる、家族と一緒に食卓を囲む──。そんな、いつもの日々を奪われた方たちがどの位いらっしゃるだろう、と思うだけで胸が痛む。震災からもう一ヶ月余りが過ぎるというのに、心から笑うことができず、いつもどこかに何かがひっかかっているように感じている人も多いだろう。余震もつづき、原発事故も現時点では解決していない。そうした不安はもちろんだが、それ以上に私たちの心を重くするのは「いつもの日々」を失った同胞への思い、であろう。
とても受け入れ難いこんな現実のなかで、どうやったら次の一歩が踏み出せるのだろうか。今、私たちに必要なのは何なのだろう。そんなことを、これから4回にわたり考えていきたいと思う。
地震の翌日のこと、ガスも暖房をとまり、食事が作れなくなった私は、近くのホテルのレストランに出かけた。そのレストラン、いつもとはちょっと雰囲気が違った。普段は礼儀正しい、という印象しかなかった接客係の人たちが、そろってみな温かい。ひとつひとつの動作に思いやりと優しさを感じるのだ。何度となくくり返された津波の映像を忘れ、一瞬、ほっとした気分になった。
そのとき気づいた。働いている人全員が気合を入れ、目の前にいる人すべてを被災者だと思って温かく接しているのだ、と。被災地に手伝いに行きたい、と思っても仕事があって行けない人も多い。しかし、今、自分の目の前にいる人に心をこめて接し、温かい思いを伝えると、その思いは人から人へと伝わっていく。温かい波は東北や北関東の被災された方々へ伝わっていくはずだ。
「よし、温かい波運動をはじめよう。目の前の人に温かさを!」。そう思いながらオフィスに帰ると、となりのオフィスのドアの前で、若者たちが何やら大きな箱を運び出そうとしていた。普段はあまり会話をしたことがない隣人である。私とは生活時間がまるっきり違い、夜遅くまで若者たちが集まっている、ベンチャー系のオフィスなのだ。
地震で壊れた家具かなにかを運び出すのかしら、と思ったが、あまりに量が多いので、「うちにある台車をかしましょうか」と声をかけた。すると「助かります。これ、被災地に送るんです」という返事がかえってきた。胸があつくなった。たった一晩でこれだけの物資を集めたのか。やっと動きはじめたエレベーターに荷物を積むのを手伝いながら、小さな温かい波が被災地に届くように、と願った。
頭が痛むと、人は手で頭をおさえる。打撲すると、そこを手でおさえる。指をケガすれば、傷ついた指を反対の手でおさえる。指をケガすれば、傷ついた指を反対の手でおさえる。何のためらいもなく、自然にそんな行動をとる。自分の体、という認識がそうさせるのだ。
今回の震災で気づいたもうひとつのことは、ごく自然にわきおこってきた一体感にもとづいた行動の波だ。人々は、ごく自然に、誰に促されることもなく、東北・北関東の被災地のために何かをしよう、と行動をおこした。まるで、頭が痛むとき、手で頭をおさえるように。
そこには「何かをしてあげる」という上から目線は全くなかった。ただひたすら、自分の体の手あてをするような自然な行動だった。つらいニュースばかりが流れるなか、人の心の温かさで心が洗われる。
人間は、どんなにつらくても、未来に一筋の希望が見えると生きていけると言われている。その希望の光になるなは、人々の温かさであろう。
友人が、インターネットで流れた被災者の言葉をメールで送ってくれた。津波で家も家族も失った40代の女性の言葉だった。
「大丈夫、私たちは、人の幸せをねたむほど落ちぶれていません。みなさんは、楽しい時は十分笑い、楽しんでください」。その強さと優しさに頭が下がる。この方たちを不幸にしてはいけない、と強く思う。時と共に忘れることなく、温かい波を送りつづけたい。
※「一日一粒心のサプリ」は3月に終了しましたが、特別編として「心のサプリ 大地震によせて」を今週から4回お届けします。