スーパーで夕食の材料を買う時、あなたはどんな買物の仕方をなさいますか?
予定の献立に必要なものの売場に行き、それ以外のものは見ない、という人もいるし、逆にひと回りしながらふと目について興味のあるものを手にとったり買ったり、という人もいる。
前者は時間とお金を効率的に使える。ムダ使いをすることもない。予定の献立をきちんと作るためには余分なものを買うことはない。この時代に適応したスタイルの買物だろう。後者は時間とお金をムダに使う可能性を多分に含んだ「寄り道」スタイル。夕食に不必要なものをつい買ってしまうこともある。予定していた時間をオーバーして買物に使うこともあるだろう。
私は、といえば、ほとんどいつも後者のスタイルだ。あらもう白魚のかまあげが出てる、あらもう菜の花だ、というと予定をかえて菜の花と白魚のパスタを作ってみたり、あちこちの売場で何度もひっかかる。
そしてこうした「寄り道」スタイルは人生も同じだなあ、と思ったりする。例えば、研究でいえば、ひとつのことを調べだすと、いろいろなそれに関する論文が引用されている。その引用を読み出すとまたまた興味が拡がり、というように次々と「寄り道」がつづき、医学の分野から社会学、時には政治学の分野まで道草をしていることが多いのだ。
そんな論文まで調べて何という時間のムダ、という人もいるだろう。たしかに寄り道はお金のムダが多いが、時間のムダには私の場合はなっていない。ちがう分野の知識は自分の一部になってくる。ストレートにそのことだけするのとは違う「かくし味」みたいな効果が出るのである。
寄り道をした先々のいろいろなこと、そのうちそれが次第に深く自分とかかわるようになり、各々の寄り道の産物同士がつながりをもつようになると人生は深く豊かになってくる。ちょっと抽象的でわかりにくいかしら?
ちょっと興味のあること、ふと心が動く本、場所、そんなことに少しだけ寄り道してみると、今までとは別の視点が開くことがある。
子どものころ学校に通うのに毎日違う道を使うので怒られたことがある。大学時代は定期があるのに別の電車で帰ったりしてムダ使い、といわれたりした。そのくせは今もかわらなくて、つい別の路地を歩いてみたりする。単なるへソ曲りか、とも思うのだが、この寄り道スタイルを治すより活用しようと思うこのごろである。
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