料理を作る時、お塩を計量スプーンで量って入れますか、それともちょっとひとつまみ、感覚で入れますか。
私は後者。調味料を量って入れたことなどないんじゃないかと思う。
先日料理の説明をしていて、ちょっとひとつまみ、と書いたら、ひとつまみじゃわからない人が多いから、スプーン何杯、何グラムと書いてくれ、と編集者に言われ仰天した。量らないと、ものが伝わらない時代になったのか。
量ることが科学的、ひとつまみは非科学的ともいわれる。そうだろうか。
かつて何かの本で、きっちりスプーンで量るより、ひとつまみ入れた方が料理がおいしいということを料理人が書いていたのを読んだ。
医学的には納得がいく。計量は意識的に行われ、ひとつまみは無意識の力によって行われる。その時の気温(暑いときには発汗が多くて塩分を失うので、多少塩を多くしたいという無意識の力が働くだろう)、体調、他の料理の種類などにより、体の感覚は無意識にひとつまみの量を微妙に変化させる。それがおいしさにつながると思う。
体の感覚でわかるから、スプーンで量らなくても大丈夫なのだ。でも、そうした感覚を感じとれない場合や、絶対に失敗したくないと意識的に料理を作る場合には計量する必要がある。
さて、火事場の馬鹿力という表現がある。緊急事態の時、とんでもない力が出るという意味だが、その理由は無意識の力の発現とでもいえよう。
潜在的にもっている力を使うと、筋肉を壊してしまうから、ふだんは意識的に抑えて暮らしている。ところが、緊急事態で意識的な抑圧がとれたとたん、無意識部分が優位になり、考えられない力が出るというわけだ。
意識的な部分は人間のごく一部分。無意識にはいろいろな要素が存在している。それは利益になることもあれば逆のことも。大切なのはその存在に気づくことか。
2009.8.23 sun
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