昨年の東日本大震災以来、非常時の持ち出し袋を気にするようになった。以前から寝室の隅に置いてはあったが、改めて中身を点検してみると、賞味期限がとっくに過ぎたレトルト食品や季節はずれの下着やつかない懐中電灯などが入っていて、これまでのいいかげんさにびっくり。自分で持てるだけの小さな袋に何を入れるか選ぶことになって考えてしまった。小さな袋に何を入れるか選ぶことになって考えてしまった。小さな子どもや病人のいる家庭では荷物が増えるから大変だろう。
そのときふと思い出したのが、昔見た「サザエさん」のマンガの1コマだ。お父さんの波平さんが、家族に非常時の訓練をしようと声をかける。一番大切なものを持って集合するようにと号令をかけた、その波平さん背負おうとするカツオ。照れる波平さん。おまえは調子いいんだから、とカツオをつつくサザエさん。詳細は忘れてしまったが、記憶に残るのは、阪神淡路大震災も東日本大震災も起こる以前の、穏やかな日々のほほえましい家族の1コマだ。
一番大切なのは、「もの」ではない。これは明確だ。生命を支えるのに不可欠なのは水と食糧。これも万人共通ではっきりしている。では、それさえあれば生きていけるかというとそうではない。これがなかなかやっかいだ。水や食糧のように万人に共通ではなく、人それぞれ異なるからである。体の栄養源ではなく心の栄養素と言えるものがそれである。
私の場合は紙とペン。ふだんからバッグに必ず小さなノートとペンを入れている。外出先でノートを忘れたときは、慌ててコンビニに飛び込みノートを調達したり、カフェの紙ナプキンにものを書いたりする。日々感じたことを表現していないといられないからでもあるし、ノートに書く、という行為が自分の心と向き合うことになっている。表現する、自分と向き合う、というひとときがないと、どこかがヘンでしっくりこない。そんなとき、ノートとペンが自分にとっての必需品、心を保つために不可欠なものなのだ、と実感する。そこで、持ち出し袋の中にはノートとペンを入れた。
心の栄養素は、なくても生命に支障をきたさない。しかし、それがないと自分らしさを維持するのが難しい。知人の1人は本を読むのが大好きで、本がないといられないという。非常袋の中に本、などというと、ひんしゅくものだが、1冊だけ入れたと呟いていた。何を選んだか、この次聞いてみようと思う。小さな子どもの心の栄養素はクマのぬいぐるみかもしれない。家族の写真だったり、思い出の指輪という人もいるだろう。自分にとって心の栄養素は何だろう。そんなことを思いめぐらすとき、改めて気付くことがある。(心療内科医)