果物を手ごろな値段で売る八百屋さんがあった。商店街からちょっと離れた道路沿いにある小さな店は妻が切り盛りし、「おじさん」と親しみを込めて呼ばれている夫は、繁華街の街の一角に借りた場所で野菜を並べて、青空マーケットをしていた。包装なし、の分だけ安い。ジャムやフルーツ・コンポートを作るのが好きな私には大助かりで、もう10年以上、週末には必ずおじさんの店にでかけていた。だから、去年の暮れに、おじさんから店を閉めると聞いたときは、かなりショックだった。

 「もう体がきついですよ。荷も重いしね」と聞くと、それはそうだろうな、と思い、おばさんに「もう老後のための目標額は貯まったから」と聞くと、偉いなあ、と感心。だが、年末にシャッターが下り、貸店舗の紙が貼られた店の前を通ると、何か寂しく、元気にしているかしら、とご夫婦を思い浮かべた。
 さて、年が代わり、春めいた日の夕方、久しぶりに繁華街を通ると、見慣れたライトバンを発見。果物を積んだ八百屋さんだった。ちょっと照れ笑いしたおじさんが、元気に果物の箱を降ろしている。

 「店をやめて3日間は休んだんですよ。散歩して、東京タワーに行って、芝居見てね。でも3日だね、休むのは。退屈でね。女房はスポーツクラブだの美容院だの行って友達と遊んでるよ。だから、カミさんには手伝わなくていいって言ったんですよ。オレ一人でやるからってね」
 店は閉めたけれど、ライトバンに荷を積んで、青空マーケットは続けているのだという。あ、よかったな、と思った。やることがないから会社に行くという休日出勤の人とは違うおじさんの仕事スタイル。ただ、お金のためでもなく、時間つぶしでもない仕事の姿を見せてもらった気がした。

 おじさんが店を閉めて休みを楽しんだ3日間、退屈してしまったのは、熱中したり、集中したり、自分を活かす対象のない空しさに気づいたからだろう。八百屋さんの仕事は自然や人間が相手で、体を使う。長く仕事で培ってきた自分のアイデンティティーを活かす場が、青空マーケットの小さなスペースなのだ。

 最近「歳をとったら引退するのが潔い」という風潮で、やたらと引退推奨モードだが、この八百屋さんのように活き活き働き、自分も楽しみ周囲も助かる場合も多いことを忘れないでほしい。楽をすることだけが、元気の素ではない。自分ができることをして、それが人の役に立ち、社会とつながっているという感覚は、高齢の方々にとって、大切なものなのである。若い人も、高齢者も、それぞれが自分を活かす場を持てる、それが健康的な社会だと思う。(心療内科医)