夫の転勤でアメリカに住むことになったAさんは海外生活を楽しみにしていた。語学はさほど得意ではないが海外旅行の経験もあり、性格的にも異なる環境に適応する自信があった。30代で子供もいないので、英語を勉強しなおそうと学校にも入学を決めた。
Aさんが住むことになった地域には日本人の集まりあり、さっそく入ることにした。仲間がいると情報も教えてもらえる、と期待したそうだ。この集まり、
初めて参加した時にはなんとなくよそよそしさを感じたものの、元来細かいことを気にしないAさんはそのうちに親しくなれるだろうと思った。
ところが、しばらくして偶然に、Aさんは会員が自分の陰口をメールで送り合っているのを発見してびっくりした。会の人たちは高学歴で英語も流暢だ。Aさんが学歴もさほど高くなく、夫の地位も高くないことをさかなに盛り上がっているのだった。
「あの年で今から語学をやっても手遅れね」というメールを書いている人もいたが、彼女は実際に会った時はにこにこして、がんばってねと声をかけた人だった。Aさんは陰口に傷つき、人のうらおもてにも傷ついた。日本にいる時、
そうした人たちとあまりかかわらなかったのでなおさらだった。
エリートと呼ばれる人たちはしばしばできない人を見下すことがある。そしてエリートだけで集まった時、できない人を攻撃することで結集したりする。まるで子供のいじめの構造と同じだが、実は子供が大人の世界をまねしているといってもいいだろう。
英語やお勉強ができる人が、すべてをできるわけではない。みな、それぞれ得意の分野を分け合いながら社会が成り立っている。それに気づかないエリートは真のエリートとはいえない。
ハーバードにも日本から大学院に留学生がきているが、そのうち何人が真のエリートといえるだろうかなどと思ったりする。
2008.11.9.sun