以前雑誌に原稿を書いていてアイデンティーという言葉を使ったら、知らない人もいるので別の言葉にしてください、と言われたことがある。しかし、アイデンティーを直訳すると「存在証明」となって、ふだん全く使わない言葉だし、と悩んでしまった。

 アイデンティー。その人がどんな人間なのか、自分が何者であるかという意味を示すこの言葉。私たちにっては日常的ではない。しかし、アメリカにいると毎日のようにIDという単語を耳にする。

 その理由をはっきり感じるのが地下鉄に乗った時である。向かいの列に座っている人全員の肌の色が違う。着ているものの傾向も全く違う。どこの国の出身だろう?IDカードを見なくてはわからない。つまり必要に迫られて自分は何者であるか、を説明できるようになってくるのであろう。

 自分はどんな人間で、どんな傾向があってどう生きるか。そのようなことを考える下地は、環境によってはぐくまれるのかもしれない。常にIDカードを持たないとものごとが進まない環境にいると、自分を客観的に観察し、自分と対話するチャンスも増える。

 前述のように、地下鉄に乗っても店で買い物をしても、実にみな肌の色、体型がまちまちだから、自分と他者がはっきり違い、人それぞれであるということがいやでも認識される。

 きちんと話さないとコミュニケーションがとれないな、という覚悟もできるし、人は自分と同じようには考えなくて当たり前ということも自然に体でわかってくる。

 日本でストレスの原因として多いのは「相手が思い通りになってくれない」というものだ。自分の脚本を相手に押しつけてしまう。相手は自分と同じように考えるものと思っているとストレスが生まれる。相手は自分と違って当然という認識は、こうしたストレスを軽くするかも。

2008.12.14.sun