今回も当たらなかった、とはずれた宝くじを眺めた方もいるだろう。これだけ景気が悪いと、宝くじに頼みたい気持ちにもなる。私もこの2年間、アメリカで研究生活をして日本との間を往復しているので、家賃やら交通費やらでやりくりが本当に大変だ。お金があれば、もっと安心して研究生活を送れ、データ入力をする人の人件費も払えるのにと思うが、お金というのは、あればあるでこれまた大変らしい。

 お金にゆとりのある家庭の息子さん。親の仕事を手伝っていたが、親の反対する女性を好きになり、独立しようとした。ここまではよいが、それまで外で働いたことのない彼は、次々と職場をやめたり、リストラされてしまった。借りたマンションも、育った豪邸とはちがうのでイヤ。彼は、プールもテニスコートもある家で育ったのだ。

 もうひとふんばりすれば新たな展開もあるが、親も心配でお金を与えてしまう。彼は実家に帰り、それでも恋人とは別れずどっちつかずのままだ。

 お金がないと生活は苦しい。しかし、お金があれば安易な解決でその場をやりすごす。結局、問題を隠したままで時が過ぎる。前述の例も、お金が息子の自立をはばんでいる。

 お金は、あってもなくても大変なのだ。お金さえあれば、と思うが、手にした途端、無意識の慢心を生む。お金があっても幸せになれる人は、なくても幸せだろう。「お金さえあれば幸せになれる」と思う人も、「お金があっても幸せになれない」と思う人も、どちらもお金とうまくかかわる人にはなれないだろう。お金があっても幸せになれるのは、多分、マザー・テレサのような人。

 それにしても、大金はなくとも、働く場、働いたら自活できる給料は最低限必要。今の政権に宝くじは期待しないが、地道に生きようとする人が人生を悲観せずに歩める環境を望んでいる。