かつて、外でお酒を飲んで帰ってくる夫に、妻は「家にもお酒があるのにどうして外で飲むの」と文句を言ったものだ。確かにそうなのだが、行動には環境が大きく影響する。

 日本の自宅でも、パソコンで職員パスワードを使いハーバード大学から文献をダウンロードできる。だが日本にいると、日々の業務に追われてじっくり文献を読むこたができない。週末のボストンでも、アパートで部屋にいるとミーティングの資料を作れないが、近くの大型書店内にあるコーヒーショップに座ると突然原稿が書ける。

 そこで、今もそんな状況で仕事をしている。周囲はパソコンを持ちこんで仕事をする人や文献をよむ人ばかりで、世間話をしている人は1割以下だ。あらためて、ものごとには周囲の環境が影響することと、人は一人一人別々の存在ではなく連動しあっていることに気づかされる。たとえばここで、ものを書いている時、いかに集中していても、隣でバナナなどを食べはじめ、足を投げ出して本を開く人がいると、集中がさえぎられてしまうのだ。

 周囲に集中して勉強する人がいれば、その気分がまわるに伝わるし、幸せな気分の人はまわりにもそれが伝わる。逆にイラオラしたりだれている人の横にいると、こちらも影響を受ける。音やにおいの他に「気分」も目に見えないが人と人をつないだり、ブロックする要素になるのだとう。

 あくびは伝染するとよくいわれるにはそうした意味なのだろう。外でお酒を飲むのは、お酒そのものの他に、解放された気分を共有したいという願望にほかならない。子供に勉強しなさい、といいながら自分はテレビを見ていても、子供はその気にならないだろう。

 というわけで、今年度のゼミk募集には、あえて「しっかり勉強したいと思う人」、卒業研究には「研究したい人」と注意書きを加えた。