ボストンで朝一番にするのは、地元のFMラジオのスイッチをいれることだ。数分毎に流れる天気予報を聞くためである。

 冬のボストンの気候は本当に厳しい。寒いのはもう慣れっこだが、天気がかわりやすく、朝晴れ上がっていても昼過ぎから突然雪嵐がやってきて夜はまた晴れて月が出る、みたいなことは日常的。雪の後、夜になって晴れると道はカチカチに凍ってスケート場になる。ここにきて、2週間で2本の傘が雪で壊された。傘の骨が折れるのでなく、傘が途中から折れて飛んでいってしまったのだ。雪嵐はすさまじく、体重の軽い私は夜、風が強いとリュックの中に辞書やら何やら重いものを入れて飛ばされないように工夫する。

 こんな日はアパートに帰りつくだけで精いっぱい。食料の買い出しにも行けないから週刊予報を調べて計画を立てる。お天気と相談しながらの生活は不便だが、気づいたことがある。それは「自分の力でどうしようもない相手といかにかかわるか」ということだ。東京にいる時のように、自分の食べたいものをその日に買うなどということはできない。だから、工夫しながら天気とかかわり、どうしようもない時は「まあ仕方ないか」とあきらめる。そして天気のいい日をうれしく過ごすという感覚が大切なのでは、と思う。

 日本では、「お金で何でも買える」と思っている若者も増えている。気候が温暖で、自然を人間がコントロールしているかのように感じ、道具や機械が発達し、何でも便利になった日本ではそう思うのも無理はない。自分の思い通りにならないとイライラするのは、思い通りにならないことや相手とかかわるのに慣れていないからである。

 便利さと機械の発達と恵まれた環境故に失ってしまった感覚、退化した感覚は多い。工夫しながら過ごすという、ある種創造的でシステマティックな能力をとり戻したい。