アメリカ人は「効率的」という言葉が好きだ。研究でも日常生活でも効率という言葉にすぐ出合うのだが、何といっても、時間を効率的に使うことにしのぎを削っているように思える。一見よいことのように感じられるが、みなさんはいかが。

 例えば、アメリカでは「ながら族」をよくみかける。食べながら何かしている、というパターン。
 私のいるハーバードでもそんな風景に出合う。なぜなら、ハーバード大大学院には、「お昼休み」がないのだ。院生は朝から1単位3時間程の講義を受け、午後もそのまま次の講義に出たりする。だから、12時ころには机にお弁当を広げ、食べながら聞いている。ダナ・ファーバー研究所でも、ランチタイムレクチャーという外部講師による勉強会がある。これもピザなど食べながらきく。

 食事の時間なんてとるのは効率的じゃないから、一度に2つのことを同時進行しましょうという訳だ。ハーバードの関連病院のロビー階で迎えのバスを待つ間も、多くの人々は何かをつまんで口にしている。待つ時間を効率的に使う、という無意識の方向性が働いているのだろうか。

 私自身は、こういう類の効率化はしない。食べながら何かすると食事の楽しみも減るし、同時進行している別のことも集中が減るように思う。しかし、プログラムが効率優先で組み立てられ、食事の時間もとれなくなったら「ながら族」もやむなしとなる人も多いだろう。これでつく食べながら何かをする習慣が肥満につながるのだろう、と思ったりもする。

 日本でも、アメリカのあとを追いかけ、模倣してきた効率化の波によって、「一つのことを大事に集中してする」という概念がないがしろにされるのが心配だ。ティックナットハンという僧の言葉「歩くときは歩くことに、みかんの皮をむくときはそのことに集中しよう」を思い出したりする。