アメリカの大学の研究室では「publish or perish」(出版か死か)という風潮がある。つまり、大学の研究者は論文を発表しなきゃダメ、論文として学術誌に載らない研究はゴミ、という訳だ。したがって、論文や書物を発表しない大学教授や准教授は研究者として認めてもらえない傾向が強い。

 とくにハーバードなどでは、教授たちは実にせっせと研究して論文を書く。どちらかというと、学生教育で「いい教授」と評価される日本とは、やや違う。研究して論文を発表するのはすばらしいが、アメリカ社会には「結果主義」の傾向が強い。

 すべてに結果を出さなきゃダメ、全か無か、という思考は利点も多いが問題も多い。オリンピックでアメリカ選手がメダルを多くとるのは、「結果主義」の思考性の中で育ったからだろう。参加するだけなんて意味がない、メダルをとらなきゃ税金のムダづかい、との無意識が、エネルギーになるのだろう。オリンピックは参加することに意義があると教えられてきた我々とは、違う思うがあるのかもしれない。

 日本は甘い、結果を出さなきゃ意味がない、という人も最近は増えてきた。しかし、努力しても結果が出ないことはたくさんある。結果が出ないとダメ、結果を出せない人間は無能、などと考えると、これは大変だ。結果を出せないと生きるのがつらいし、結果を出せる人は、出せない人を否定する。結果のために無理をしたり、薬を使うこともある。大体、結果とは何か。メダル、利益、偏差値と目に見え、数字やもので表せるものばかりだ。

 メダルをとれなかった選手をテレビで応援したり、はらはらしたり、ときには批判するひとときを楽しんだ人も多いだろう。そんなひとときは数字で表せない。けど、大事な一瞬だ。いいじゃない、結果を出せなくても、という私は多分大甘ですね。