5月の連休中、久しぶりに数人の若者と会う機会があった。おい夫婦と元ゼミ生、そして3年前まで私の仕事を手伝っていた元スタッフである。

 10年前、ちょうど働きはじめたばかりのおいは無口で頼りなく、これで大丈夫かなと内心心配していたが、いつの間にかしっかりとし、無愛想であいさつの苦手だっためいも、すっかり明るい社会人になっていた。元ゼミ生もきちんと大人になり、「春になると体調が悪くなるから仕事を休みまーす」としょっちゅう休んでいた元スタッフは、私がアメリカに行くようになってから別の企業に就職し、今度は休まずに仕事をしている。おのおの大人になり、生き生きとしている姿をみて、社会、そして仕事を通して、若者たちは成長したんだな、と実感した。

 学生はもちろん、身内相手やアルバイトでの仕事も、ついつい甘えが出てしまう。ちょっと調子が悪い、と休んだりサボっても、文句を言われることはあるが、大抵は大目に見てもらえる。仕事を放り出しても学生だから仕方ないか、と許される。

 責任を持って働くのは一種の修行だ。体調がいいときも悪いときもある。好調なときにいい仕事をして一発勝負、というわけにはいかない。不調の日にどう自分と向き合うか、という修行の場が仕事である。元スタッフに「もう、春だからって理由で休まない?」と聞いてみた。「休もうかなと思う時もあるけれど、でも行ってます」と、笑って返事をされた。

 無理はしない、でも甘えはしない、という自分とのつきあい方、まわりや社会とのかかわりは仕事で磨かれる。私自身も、仕事を通してどんなに成長させておらっただろうと思う。それは仕事自体より、自分や周囲とのつきあい方、生きる姿勢の修行だった。今、若者の就職率が低くなっている。若者から生活の場、修行の場を奪わない政治を強く願っている。