”allchinema”より引用
自分が納得できてこれでいい、と思える表現ができて、しかもそれが人に幸せや喜びを届けられたら。「それができるならその瞬間に死んでいい」、アーティストはそんな風に思うもの。
シンガーのはしくれの私はライブのたび、その思いが心に浮かびます。「バベットの晩餐会」を見て感じたのは、一瞬でも、至上の表現ができるなら、それが人生のすべてである、ということでした。
バベットの晩餐会 1987年・デンマーク作品
原作:アイザック・ディネーセン
監督:ガブリエル・アクセ
主演:バベット:ステファーヌ・オードラン
http://mermaidfilms.co.jp/babettes/
19世紀のデンマーク。ユトランド半島の寒村に住む年老いた姉妹の家に彼らを頼りフランスから一人の女性バベットが亡命してきます。姉妹はプロテスタント宗派の創立者の娘で独身のまま老父とともに清貧に徹し村人たちを精神的に支えています。 姉妹はむかしは美しく、多くの男性が求愛しましたが父親の反対で恋を捨て独身のまま神に仕える生活を選んだのでした。
姉妹を頼ってやってきたバベットはフランスのパリコミューンに味方したため迫害を受け、夫と息子を殺害され、姉妹を知る有名なオペラ歌手の紹介状を持ち姉妹を頼ってたどり着いたのです。そのオペラ歌手はかつてオペラ公演のあとこの村に滞在したことがあり姉妹の妹と恋に落ちて求婚しましたが、父親の反対で恋をあきらめてパリに去ったのです。
バベットは姉妹の家で家政婦としてはたらき切り盛りをします。パリの最高級レストランの総料理長であったバベットは過去の経歴を隠してはいるものの才能を発揮し姉妹から信頼をうけ十数年がたつころには村の人からも受け入れられるようになっていました。
さて姉妹は最近村人の信仰心が薄れ不調和を感じるようになったことから仲間の一体感を取り戻そうとして、父である牧師の生誕100年を祝う祝賀会を開こうと思いました。バベットはその祝賀会で自分に料理を任せてほしい、費用はすべて自分が持つ、と姉妹に願い出ます。
姉妹は贅沢なことは嫌いだから、と躊躇するのですが、バベットに自分のたっての願いだから、といわれ受け入れます。実はバベットはフランスの友人に頼んで買っていた宝くじの1万フランが当たったのでした。姉妹もこれを知りこの1万フランでバベットはフランスに帰るのだろうと思い寂しい気分になっていました。
バベットはフランスから食材を取り寄せます。その入念で真剣な準備と集中力に圧倒されるものがあります。ウミガメやうずらなど運び込まれる食材に姉妹は衝撃を受けます。贅沢を罪と考える姉妹の驚愕ぶりがユーモラスに描かれるのでこれは映画でお楽しみください。
さて晩餐会は村人12人を集めて行われます。最初は贅沢な料理を味わうことを拒んでいた村の人たちは料理のすばらしさに心を開放していきます。それまでお互いに不信感をもっていたひとたちも打ち解けあい、穏やかで平和な時が流れるのです。バベットの料理は人々の心に平和とやすらぎを運んだのでした。それは単に高級な料理、高級な食材ということではなくバベットが料理で表現したアートで人々に一体感と心の平和をもたらしたといえます。
晩餐会が終り、姉妹はバベットに感謝を伝え彼女がパリに帰ってもこの日を忘れない、と伝えます。バベットは自分はパリには帰らない、何故なら宝くじの1万フランはすべてこの晩餐会のために使ったこと、だからパリに帰るお金がないこと、また自分はかつて高級レストランの料理長でこの店の料理は12人で1万フランとつたえます。
姉妹は驚くのですがバベットは
「アーティストは貧しくはならないのです.」
と答えます。 この言葉がこの映画のすべてでしょう。凛として潔くことばが心に響きます。 アーティストは最高の表現、納得できる表現ができそれが自己満足ではなく人に幸せや心の平和を運べるならそれが財産になるのだと思います。新型コロナで苦しい生活を強いられるアーティストに勇気を与えてくれる映画です。