昔、夏休みに南の島へ出かけたことがある。一泳ぎして、ホテルの部屋に帰り、窓を開けて海を眺めていたら、ふとチョコレートサンデーが食べたくなった。 ルームサービスを注文。しばらくして、白いシャツに黒のベストをおしゃれに着こなした日焼けした肌のボーイさんが、うやうやしく盆に載せて、ガラスの器に盛られたチョコレートサンデーを選んできた。
バニラアイスが5スクープ、その上には、たっぷりかかったチョコレート、さらにチョコレートのスティックがその横に数本。私がかつて目にした中で、最大のチョコレートサンデーであった。
驚きが突然おかしさに変わり、私はテーブルに置かれた巨大なグラスを眺めて思わず笑いながら、「これは大変。太っちゃうよね」と、つぶやいた。するとボーイさんは平然と微笑みを浮かべて、こうつぶやいた。
「イッツ・ア・ホリデー」。
以来、私は「イッツ・ア・ホリデー」という言葉が気に入っている。
休日なんだもん。 今日くらい、チョコレート食べようか……というわけである。チョコレートとは不思議な食べ物で、古代には薬とみなされてきたらしい。ある研究者たちは、チョコレートを食べると脳内ホルモンの分泌が活発になると報告している。
チョコレート依存症という人も多く、それを食べずにはいられなくなるという人は脳内ホルモンの分泌を求めているのではないか、などともいわれている。だからチョコレートはほんの一口、楽しく、おいしく食べられる人、依存することなくチョコレートと上手に付き合える人は、精神的に心地よく生きている人といえるのかもしれない。
「ショコラ」の主人公、ヴィアンヌは、北風とともに旅をしながら、滞在した村々でチョコレートの店を開いている。ここで「チョコレート」というのは、象徴的な意味を持っている。それは「人の心を縛る、さまざまな鎖を振りほどくための一つの手段」なのだ。
ヴィアンヌがそのときに訪れたのは、フランスの片田舎の小さな村で、人々は古いしきたりと戒律と形式に縛られながら暮らしていた。村には、暴力をふるう夫におびえながら我慢して過ごしている女性や、何十年も老婦人を思い続ける老紳士、孫と話すことを許されない女性、秩序と規律だけを重んじるために妻に逃げられた村長たちが暮らしている。
戒律を重んじる村長は、キリスト教の断食の季節にチョコレートの店を開くヴィアンヌが気に入らない。そもそも、よそ者は受け入れられないのだ。おまけにヴィアンヌの髪、服装も華やかで、村長には堕落の象徴に思える。さらにヴィアンヌが娘を連れていて、父親がいない未婚の母らしいことも許せないのであった。
村長は、人々にヴィアンヌの店へ行くことを禁止するのだが、人を分け隔てなく付き合うヴィアンヌのおおらかさと、彼女と過ごすひとときの心地よさに引かれていく。そしてチョコレートを一口、口にしたときの幸せな気分を求めて、村の人々はヴィヨンヌに心を開くようになる。