「格闘技」は日常生活のわずらわしさを紛らわせていく

 この映画は、第77回アカデミー賞の4部門を獲得した、クリント・イーストウッド監督の作品である。

 女性ボクサーと老トレーナーとの間の、魂の触れ合いを描いたこの作品は、どの映画評論を見ても「師弟愛を超えた信頼がテーマ」と書かれている。また、ご覧になった方はきっと、二人の間の強い絆に心を動かされたことだろう。
 それに対し、異論を挟むつもりは、まったくない。しかし、ここでは別の視点でこの映画を振り返ってみたい。

 ご覧にならなかった方のために、簡単にストーリーを紹介しよう。
 古いボクシングジムの経営者で、トレーナーのフランキーは、7年間大切に育ててきたタイトル目前の有望ボクサーに去られ、消沈していた。

 そのボクサーが去っていった理由は、フランキーがなかなかタイトルマッチを組んでくれなかったからだ。フランキーは、自分が育てるボクサーを大切にしていて、試合を組むにはいつも慎重だった。というのも、かつて、自分がかかわつた選手が試合で無理をした結果、失明してしまったことを、今でも悔やんでいるからだ。その選手だったスクラップは、今はフランキーの良き友であり、ジムの雑用係をしている。

 以来、フランキーがボクサーに厳しく告げる言葉は、
『常に自分を守れ』。

 フランキーは、試合をやめた(引退した)あとの、ボクサーが、その後の人生で、ケガや病気で苦しむことを許せなかったのだ。だから試合を組むときは当然、ボクサーに危険な目を遭わせないようにすることが、フランキーのルールなのだ。

 そんなある日、女性ボクサーのマギーがジムに現れ、フランキーにトレーニングを依頼する。最初は断っていたフランキーも、彼女の熱心に心を打たれ、ついにコーチを引き受けた。めきめき上達したマギーは、タイトル戦に臨むことになる。

 さて、まずあなたは格闘技がお好きだろうか? 最近、とても人気がある格闘技だが、私は苦手だ。楽しく観ていられるのは柔道とオリンピックのレスリング、何とか観られるのはボクシングくらいである。この映画で描かれる女性ボクシングは、ルール違反の荒技が多く、観ているのはかなりつらかった。こうした荒技の格闘技をしたり、観たりするのは、その刺激で「忘れたいこと、忘れてしまいたいもの」があるのだと思う。

 日常生活の中のうっぷん、怒り、もやもや……のようなものを、荒技を観ることで一瞬忘れて紛らわし、すっきりするわけである。そのとき人は、殴り掛かる選手、襲い掛かる選手と一体化する。決してやられる選手と同化しないから、平気で観ていられるのだ。

誰かの代わりに、相手に求める思いをぶつけた二人

 マギーはなぜボクシングに引かれたのか。それは彼女の家庭環境に理由があるのだろう。貧しい家庭で母親に愛されず、一人家を出て13歳からウエイトレスを続けてきたマギー。抱え込んだ寂しさを打ち明ける相手もなく、紛らわすすべもない彼女は、ボクシングのトレーニングに集中することで、つらさを忘れようとしていたのだ。それでは、なぜマギーは、フランキーにトレーニングを求めたのか?

 特に有名でもないフランキーにマギーが引かれたのは、彼がもつ「傷」であったのだろう。フランキーもまた、実の娘に拒絶されて孤独だという事、愛されないという傷を抱いている。傷を持つ者同士が一瞬にして引かれ合い、二人は共通の目的……タイトルマッチへの道に向かって一歩一歩、歩み始める。

 試合に勝ち進み、次第に豊かになっていくマギーは、母親に家を買い与えるのだが、それでも母親は喜ばない。母に愛されたいというマギーの願いは拒絶され、「勝つ」ことでさらにフランキーに愛されたいという望みを強くする。愛された経験がないマギーには、「ありのまま受け入れられる」という真の愛を知らない。常に「何かをしなければ愛されない」と思っているのである。

 トレーニングでつらさを忘れ、勝つこと、強くなることでフランキーに愛されようとするマギー。父親と恋人を一体化したようなマギーのフランキーへの愛情は、痛々しくもある。また、二人は今まで得られなかった愛のやり直しをしているかのようでもある。フランキーはマギーを通して娘との愛のやり直しをし、マギーは家族から得られなかった愛をフランキーに求めるのだ。

 そして試合に出たマギーが、相手の反則によって全身まひに陥ったとき、皮肉にも彼女はそのとき初めて、「ありのままを受け入れられる愛」を知ったのだ。
 もう一生、試合をすることも動くこともできない彼女と、ありのままを受け入れ、彼女のために助けになろうとするフランキー。

 真実の愛を知ったのなら、肉体はいらない。命がなくてもいい……。

 このような映画をつくったクリント・イーストウッドはどんな環境で生きてきたのだろう……と考えさせられる。そして75歳にしてなお、何かを求め続ける彼の心の中をのぞきたくなった。